5月に引き続いて今月もデンマークに来ることが出来ました。
前回来たときは5月の中旬だというのに寒くて寒くて大変でしたが、今回はたった一ヶ月しか違わないのに真夏のような日差しで驚きでした。
こういう激変はやはり地球温暖化の影響を受けているからなのでしょうか。
こういうことを通して自分の人生を考えることができるような気がします。
私は30年間歯科診療をしてきましたがその時々の治療の激変するはやりに流されないでいつも“患者さんの歯を一生守っていこう”と思ってやってこれたことを誇りに思います。
歯を悪くしてしまい、頭の部分がなくなっていたり、根の先から膿が出ていたり、はれている歯を残すことは大変です。ことに歯周病で歯がグラグラしている場合にはどうしたらよいか困ってしまうことがしばしばあります。
そんな時、この最悪の状態になった歯を残す努力をするからほかの歯を残す気持ちになってくれるのだと思いますが、それでも容易なことではありません。
どんなに痛い歯であっても症状が落ち着くと患者さんの顔には安堵の色が浮かびます。このとき“歯医者でよかった”とつくづく感じます。この喜びがあるから大変なことがあってもこの仕事を続けられるのだと思います。
それからこれが一番大事なことですが「私は基本的に人を好きだからなのだと思います。こういう性格に育ててくれた親に心から感謝です。
6月12日にドイツのキールという町からコペンハーゲンに戻るインターシティーという大陸横断鉄道の車内で笑顔の素晴らしい年配の車掌さんに出会いました。
“笑顔が素敵ですね”と声をかけると、“サンキュー”と、さらに素晴らしい笑顔で答えてくれました。
この車掌さんにどうしてそんなに素晴らしい笑顔でいられるのか聞くと、「人に喜ばれるのが好きだからだ」と、答えがかえってきました。
はるか日本から離れた地で、私も「そうなりたい」と心から思うのした。
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先日東京のレインボータウンfm放送ですごく良いことを言っていました。
国会議員が移動するとき、「グリーン車だけど、どうなのか」ということでした。
どんなに普通車が空いていてもそこに乗ることはありません。普通車に乗れば親しみが持てる上に、市民がどんなことを悩み、何をしてもらいたいか生の声を聞くことが出来るよい時間のような気がしますがどうなのでしょうか。
法律や国民の幸せを考える立場の人ですからそれが当然だと思いますがそういう代議士さんに会ったことがありません。
国会議員は“忙しいから”、“疲れているから”というのなら、それは国民だって同じです。みんな一生懸命働いて頑張っているのです。そして所得に応じた税金を払い、その税金の中から代議士さんの給料や交通費が出ているのではないでしょうか。
だからといって、「グリーン車に乗れることを感謝しろ」なんていう気持ちは全くありません。むしろもっといい車両があったら乗って欲しいくらいです。それは代議士の先生方の苦労をよく知っているからです。そしてその苦労に対して感謝しているからにほかなりません。
“実るほど頭を垂れる稲穂かな”という理があります。
そういう代議士さんが増えれば増えるほど、風通しのよい政治が出来るのではないでしょうか。税金が沢山使われているにもかかわらず、事務所費に説明のつかない経費を計上して最後は物言わぬところに旅立つような大臣が今後絶対出てほしくありません。
確かに今の社会は混沌として愉快なことが少ない社会です。だからこそ、一番上に立っている代議士の先生方が国民と同じ目線になる努力が光るのではないでしょうか。
今日のテレビで高市早苗少子化大臣が若者のマナーについて話していました。
「電車で子供を抱いた婦人が来ても席を譲らない若者がいる。これからの社会はこういうことでは困る。」と、いう内容でした。
本当にそうです。弱い立場の人がいたらみんなで協力しましょう。そういう社会がいいのです。そういう社会が実現すれば、強い人にとってはさらに都合がいいに決まっています。
ところが現実の社会はそうではありません。しかもいまの社会があまりいい社会でないとみんなが思っています。
こういうときだからこそ、上に立つ人たちがいいことを率先してやることが大切なのではないでしょうか。
時たま、高市大臣の見た、あるいは知ったその事例の青年は席を譲らなかったかもしれません。
しかしその青年が一日の仕事を終え、満員電車に乗ってようやく座ることが出来たとしたらどうでしょうか。
その若者に席を譲れと言うのは酷です。
その理論は私たちのレベルでいいと思います。大臣はもう少し上のところで発言して欲しいと思ってしまいました。
今、国民は政治家や公務員に大きな不信感を抱いています。
年金、天下り、汚職、官製談合、どれもこれも大きな不祥事です。
国民だって責めてばかりはいられません。さまざまな問題や事件を起こしています。
どちらもどちらというのでは問題はよくなりません。
お互いに姿勢を正し、誰から見られても恥ずかしくない生き方をすることが世直しの第一歩になるのではないでしょうか。
周りの景色がいやに綺麗に見えることがありませんか・・・・。
やっていることがいやに大変に思うことがありませんか・・・・。
いつもの自分なのに何時も通りに感じられないことがあることが不思議です。
どうしてなのでしょうか・・・・。
何時も通りの朝を迎えたのに夕方には全く違う夕方を迎え、惨めになっている自分に気が付いたことありませんか・・・・。
グレーな朝だったのにいやにハイになった一日を過ごしたことはありませんか・・・・。
何時もこのシーソーに揺られてしまいます。
心の動きがあるからです。
自分ではどうしようもない心の動き・・・・。
何時ものように出来ることへ感謝しましょう。
何時ものように出来なかったらどんなに不幸せでしょう。
何時ものこと以上に努力をしていますか。
努力もしないで何時もよりよくなることってあるのでしょうか。
いつも通りって本当は幸せなのです。そしてコツコツやることです。
グレーでいることに感謝です。
もっと真っ暗だったらどうですか。
今あることに感謝で行きましょう。それが本当は幸せなのです。
そう感じられないのは心に霞がかかっているからではないでしょうか。
“長生き”は私達の夢です。それでは長生きは私達に幸福を与えてくれるのでしょうか・・・・。
私は歯医者ですが、今から20年前に“歯の往診”を始めました。
当時、日本中には、私のような歯医者はほんの数名しかいませんでした。私が往診を始めたのはそれまで元気で通院していた高齢者が脳梗塞で倒れ、入院したことがきっかけでした。
その病院にも歯医者がいましたが、「どうしても私に診てもらいたい」と言っているということでその病院から連絡があって、診ることになりました。
その往診で2つのことを教えてもらいました。
一つは患者さんにそこまで信頼される私になっていたことをとても嬉しく思ったことです。そしてこの関係が“かかりつけ歯科医”なのです。
もう一つは病院と歯科医が密接な関係を持つことが大切だということです。
その経験を通して患者さんが歯科医院内で見せる顔とそれ以外で見せる顔の違いの大きさも味わいました。
この経験は私に心から患者さんを思わないと、あるいは尽くさないと患者さんは満足できないことを教えてくれました。これが“医は仁術”ということになるのだと思います。
私は往診を“歯医者の出前”だと思っています。ですから全く苦になりません。通院できる人は診療所に来てもらえばいいし、来られなくなったら動ける私が往診すればいいというだけです。治療は診療所も往診先も一緒です。できることを誠心誠意やればいいということです。
そうして今回は101歳のやまさんを診ているのですが、わたしはいつも“笑顔”で話しかけられるように心がけています。私の未熟なところはまだ努力しなければ明るい笑顔をしていられないことです。
ところがやまさんは心の底からあふれ出すような笑顔です。60歳をとうに過ぎた私ですが、やまさんの前では「まだまだだなー」と思わないわけにいきません。
そういうやまさんですから、100歳を越しても元気でいられるのだと思います。やまさんのような“長生き”なら本当に幸福だと思います。
実際にはやまさんのような人より、多くの病気を持った人のほうがはるかに多いようです。時には早く星の国に行ったほうが幸福なのではないかと思えるような人に会います。
“長生き”をしたためむしろ不幸だったり、周囲の人を苦しめている人もいるように感じられます。
やまさんがこうした幸福の薄い高齢者の多い中で、いつも笑顔で楽しそうなのはやまさんの今まで通った道のりにあるように思います。やまさんはとても“徳の高い人”なのです。
やまさんの下顎の歯はとてもうまく入りました。いろいろ調整をしないのに不思議なくらいうまく入ったと思います。やまさんは治療中ずっと笑顔で、治療そのものを楽しんでいるのです。治療する私も楽しくなってしまうほどでした。
逆に時間をかけて、調整をしても全くうまくいかない人もいます。このタイプの人は、何をしても不平や不満だらけの人に多いようです。こういう時私は平常心でやろうとしますが、どうも逆になってしまいます。
やまさんは笑顔の中で私に“生き方”を教えてくれます。不思議なことに“笑顔”は言葉を出さないのに私を悟してくれる力を持っているのです。
うまく噛めるようになったやまさんはこれまた素晴らしい笑顔でお嫁さんの作ってくれた薄切りのキュウリとキャベツの浅漬けをシャキシャキと音を立てて食べました。
「これでまた“長生き”したくなった」と言うのです。
私はやまさんが“長生き”の意味とその時の“楽しみ”を教えてくれているように感じました。
そしてやまさんような高徳な人の診療をさせてもらえる歯医者になれたことをとても嬉しく、私にとってかけがえのない財産だと思います。
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