ニュースを見ると“尊い命”がいとも簡単に失われる話が多すぎます。しかも普段一緒に住んでいる人の間で起こるのですから信じられません。
どうしてこんなに簡単に命が扱われてしまうのでしょうか。
日本が豊かになりすぎ、生きることの大切さや社会の中で生きていくことの楽しさを見失っているからではないかと思います。
先ごろ東京の太陽歯科衛生士専門学校に講義に行ってきました。
“食べること”は“生きること”ということを中心に、私が医療ボランティアをしているフィリピンのことを紹介しました。
フィリピンでは経済的に恵まれない人たちの多くは食べることが精一杯で、住居、衣服、日用品などにお金はかけられません。
病気になったとき病院にいくという発想は恵まれない人の多い国ではありません。病気になっても治るのを待つか、死を待つだけです。
それならば病気にかからないようにしたらどうかということになります。
その通りです。
予防に勝る治療はありません。けれどもこういう国ではそれが出来ないのです。食べることさえ出来なのですから、予防だけでなく、食べ物のバランスだとか、体によくないからということを考える余地がありません。
どんなものでも“今”を生きるために食べるだけです。
ところが自分が生きることに精一杯のはずのこの国では尊い人の命を絶つようなことは極めてまれです。
自分が生きることさえ精一杯なのに、どこかで食べ物を手に入れたとしても自分だけで食べてしまうようなことはしません。家族全員でそれを分けて食べるのです。
ですから醜い争いは起こりません。
この話を聞いた生徒さんは改めて日本の豊かさと、この国に生まれてよかったこと、そしてフィリピンの恵まれない人たちに一本でも多くのハブラシをと言ってくれました。
“やさしい心”や、“思いやり”はいま、日本で起こっている悲しい事件の反対側にあるものです。
皆さんもこのフィリピンを真似てみませんか・・・・。